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  • 2025.5.30

「ペットロスの乗り越え方」なんて言葉じゃ、とても語れないあなたへ

ペットロスを経験する飼い主と愛犬のイメージ

ペットロスは別れの前から始まっている

病院の待合室で、静かに名前が呼ばれるのを待っている間。膝の上では、小さく丸まった愛犬がゆっくりと呼吸をしている。

ほんの少し前まで、元気に走り回っていたのに。この数日、食欲がなく、足取りもどこかおぼつかない。「歳のせいだよね」と自分に言い聞かせるけれど、どこかで――“何か違う”という感覚が拭えなかった。

診察室で先生が言った。「高齢による症状かもしれませんが、詳しく調べないと断言はできません」言葉自体は丁寧で冷静だったけれど、耳に入った瞬間、全身がふわっと浮いたような感覚になった。そして、心の奥で何かがざわつき始めた。

ペットロスという言葉は、「亡くなったあとに感じる悲しみ」のことだと思っていました。でも本当は、もっとずっと前から、心は小さく傷つき始めていたのかもしれません。

不安、焦り、苛立ち、後悔。「あのときもっと早く気づいていれば」「どうしてちゃんと見てあげられなかったんだろう」そんな感情が、まるで波のように押し寄せてきて、まだ“何も起きていない”のに、心の中はもう、別れの準備を始めてしまっている。

ある女性がこう語ってくれました。「検査結果が出る前なのに、夜ひとりになると涙が止まらなくなって。“何かあったらどうしよう”という気持ちと、“私がしっかりしなきゃ”という気持ちがぶつかって、何もできない自分を責めてばかりいました」

その方は、話を聞いてくれた看護師さんのひと言に救われたそうです。「大丈夫です。今は“怖い”と感じていいんです」その言葉で、肩の力が少し抜けて、やっと「この不安を抱えたままでも、私はこの子とちゃんと向き合っている」と思えたと。

ペットとの別れに向き合うのは、特別な人だけではありません。どんなに大切にしてきても、どんなに愛していても、別れを前にしたときに、うまく感情を整理できる人なんていないのです。

むしろ、感情が乱れるのは、それだけ本気で向き合ってきたからこそ。

だから、今の気持ちを否定しないでください。その不安や悲しみは、ちゃんと意味があって、ちゃんと誰かに届いていいものなのです。

ペットを亡くした直後に感じる喪失感と混乱

診察の翌日、愛犬は静かに息を引き取りました。

ほんの数日前までは、あんなに元気に歩いていた。毎日一緒に過ごしていた時間が、あっけないほど急に終わってしまった。

いなくなってしまった、という実感はまだどこにもなくて、リビングのすみで丸まって眠っているような気がする。でも、ごはんの音にも反応しないし、朝の散歩に行こうと呼んでも、もう返事はない。

時計の針は進んでいるのに、心だけが昨日に取り残されたまま。気づけばずっと同じ姿勢でいたり、突然涙がこぼれたり。何かをしようと思っても、頭も体も動かなくなる。

ペットロスの喪失感は、ただ「悲しい」だけでは表現しきれないものです。

「あのときもっとこうしていれば」
「最後まで気づけなかった私は、あの子を裏切ったのではないか」

そんな思いが、まるで罰のように心の奥を締めつけます。

誰かに話しても、「また新しい子を飼えば?」と軽く流されるのではないかという不安もある。「そんなに落ち込むことなの?」と、思われてしまいそうで、声に出すことすらできない。

でも本当は、ただ「わかるよ」と言ってくれる誰かがいてくれたら、それだけでよかった。

人は、誰にも話せず、誰にも見せられない悲しみを心の奥に閉じ込めてしまうとき、「このまま自分だけが取り残されていく」と感じるようになります。

けれど、そんなときこそ必要なのは、答えではなく、ただ隣で「その気持ち、わかります」と寄り添ってくれる存在です。

その声に出会えた瞬間から、ようやく時間はゆっくりと、止まっていたところから動き出すのかもしれません。

救われたひと言が、心を動かし始めた

ペットを亡くして涙を流す女性

「このままじゃ、いけない」

頭ではわかっていても、心がついてこない。無理に元気を出そうとしても、ふとした瞬間に涙が止まらなくなる。「そろそろ切り替えなきゃ」という言葉さえ、心を追い詰めてしまう。

そんなある日、ネットの片隅で偶然見かけたコラムがあった。ペットを亡くした経験を綴った、誰かの率直な日記だった。

「後悔してばかりだったけど、それでも、あの子を愛していたってことだけは確かだと思う」

その一文に、なぜか涙があふれて止まらなかった。

誰かの経験が、まるで自分の気持ちを代弁してくれているようだった。共感とともに心の奥が揺れ、「ああ、私だけじゃなかったんだ」と思えた。

それは“答え”ではなく、“よりそい”だった。

ペットロスの苦しみは、解決策を探すほどに深まることがあります。そんなとき、解決しようとしない誰かの言葉や、ただ耳を傾けてくれる人の存在が、まるで張り詰めた心をほどいてくれる糸のように感じられるのです。

最近では、動物医療の現場でも、ペットとその飼い主、両方の「心」をケアする専門スタッフが少しずつ増えてきています。

たとえばある病院では、獣医師が飼い主に重い診断を伝えたあと、心が混乱したまま診察室を出た方のそばに、「よかったら、少しお話ししませんか」と声をかけるスタッフがいます。

それは、医療の一部でも、カウンセリングでもない。ただ、“そのときの気持ち”を無理に抑えずに話せる、たった数分の対話です。でもその短い時間に、「もう一度、この子とちゃんと向き合ってみよう」と思えた飼い主がたくさんいます。

心は、急には立ち上がれません。でも、誰かが「それでいい」と言ってくれたとき、人は少しずつ、自分の歩幅で前を向けるのかもしれません。

前に進みたいけど、忘れたくない──揺れる心との向き合い方

ペットロスについて語り合う少人数のセミナー風景

共感できる言葉に出会い、誰かの「わかるよ」が心に届いたその日から、少しずつ、日常の色が戻り始めたように感じた。

でも、それは“元に戻った”ということではなかった。

朝、目覚めた瞬間に感じる喪失感。空になった食器を見たときに、思わず「お腹すいた?」と声をかけそうになる。それでも返事がない現実に、何度も心が崩れそうになる。

ペットロスは、「悲しい」→「乗り越える」という一本道ではありません。

行ったり来たりを繰り返しながら、少しずつ“この子がいない世界での自分”に慣れていく、とても長くて複雑な道のりです。

ある方はこう語ってくれました。
「もう平気だと思っていたのに、たまたま同じ犬種の子を散歩で見かけて、涙が止まらなくなりました。でも、そんな自分も“おかしくない”と気づけたとき、ようやく心が静かになった気がします」

“忘れること”が「前を向くこと」ではありません。

本当の意味でペットロスを乗り越えるというのは、その存在とともに生きていく、自分なりの形を見つけることだと、私たちは考えています。

  • 毎日写真に「おはよう」と声をかける人
  • ペットとの思い出を絵にする人
  • 小さな仏壇に話しかける人
  • 同じ経験をした人とつながろうと一歩を踏み出す人

どのやり方も正解で、どれも立派な“心の旅路”です。

もしかすると、あなたももう感じ始めているかもしれません。
「この気持ちを、誰かと分かち合ってもいいのかもしれない」ということを。

その気持ちこそが、悲しみに向き合ってきた証であり、
これからの人生を、大切な存在と一緒に歩む新しいステージへの入り口なのです。

同じ経験を持つ人と出会えたとき、心が少し軽くなる

あるとき、同じようにペットを亡くした方たちの声に触れる機会がありました。それぞれに異なる別れの形があり、泣いた日も、悔やんだ日も違うのに、その感情の一つひとつに「わかる」「私もそうだった」とうなずけた。

「家族が理解してくれないのがつらかった」
「何もない日に突然涙が出るのが自分でも不安だった」
「“もう立ち直ったでしょ?”と言われるたびに、心が閉じていった」

それらの声を聞いたとき、「私だけじゃなかった」と思えた瞬間に、長い間、心にかかっていた霧が少し晴れた気がしました。

ペットロスは、決してひとりでは乗り越えられないものではありません。でも、「ひとりで向き合わなくていい」ことで、回復はぐっとやさしくなる。

言葉にすること、誰かに受け止めてもらうこと、そして同じ経験を持つ誰かの思いに触れることは、時間では癒えない痛みを、少しずつやわらげてくれる力になります。

私たちは、そんな声を届け合える場として、「ペットロスと向き合う時間」を共有できるセミナーを開催しています。

リンクの記事は過去に開催したセミナーです

ここでは、誰かが誰かを励ましたり、専門的な解決策を押しつけたりすることはありません。「こう感じた」「こんなふうに向き合っている」その言葉を静かに受け止めるだけの時間です。

飼い主の心のケアを専門に学び、動物医療の現場でもカウンセリングを行ってきたスタッフが進行を務めます。どうしても涙が止まらなくなってしまっても大丈夫です。話せなくても、聞いているだけでかまいません。

“喪失を経験した心が、また誰かの心を癒していく”
そんなやさしさの循環を、私たちは信じています。

“ありがとう”と歩き出す。ペットロスのその先へ

ペットを見送ってから、時間が経った今も、ふとした瞬間にその子の面影がよみがえる。

洗濯物を干しているとき、スーパーでいつものおやつ売り場を通ったとき、足元にいたはずの気配をふと探してしまう。

「もういない」と分かっているのに、その子との日々は、確かに今も心の中に息づいている。

忘れたわけじゃない。手放したわけでもない。

ある日、久しぶりにアルバムを開いてみた。懐かしい顔、思い出の場所。涙は出たけれど、不思議と優しい気持ちも一緒に湧いてきた。

「この子と一緒にいられて、本当によかった」
そう思えたとき、初めて「悲しみ」だけではなく「感謝」とともに歩き出せる気がした。

ペットを亡くすという経験は、私たちに大きな痛みとともに、深く濃い愛情の記憶を残してくれます。

その存在が、どれだけ日々を豊かにしてくれたか。
どれだけ無条件に愛してくれたか。
そして、自分がどれだけ大切に思っていたか。

それに気づけた今、その子との時間は“終わった”のではなく、自分の中で生き続ける形になったのだと、静かに受け止められるようになってきたのかもしれません。

「乗り越える」という言葉は、どこか置いてきぼりのようで苦手でした。

でも今は、その子と過ごした日々を大切に胸にしまって、“ともに歩んでいく”という選択肢もあるのだと知りました。

私たちはこれからも、そんなあなたの物語のそばにいられたらと思います。
ペットと生き、見送り、そしてまた歩き出す──そのすべてが、かけがえのない愛のかたちだから。

小田ペット葬祭では、
ご家族とペットの絆を大切にした「友達葬」や、
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